常識を疑いたくなるクセ

本当にそうなの?と、ついつい疑問に思ってしまうクセが僕にはある。特に常識だとされることに対して、そう思ってしまう傾向がある。

これは職業病かもしれない。ソフトウェアエンジニアをやっていると開発の多くを不具合の原因解析に費やす。不具合を解析するポイントは、思い込みを排除すること、そして疑うことだ。だから、そういったクセが自然と身についてしまったのだろう。

以前から疑問に思っていることの一つに、サッカーの試合で、負けそうになっているチームのゴールキーパーが前線に上がっていくことに意味があるのかというものがある。サッカーに詳しいと思われる人のネット上でのコメントを見ると、どうやらそれはサッカー界では常識なことらしい。

でも、僕にはどうにも腑に落ちない。

僕には長いことバスケットをやっていた経験がある。その経験に照らし合わせて考えると、もし、試合で自分のチームにあまり上手でないプレーヤーを一人加えて6対5で攻撃していいいと言われても断るだろう。単純に邪魔だからだ。バスケでは、バランスよくポジションをとったり、タイミングよく移動することが必要とされる。そんな時に、下手な人が一人混じるととても攻撃しづらくなる。そのあたりはサッカーでも同じなんじゃないだろうか。下手な人が一人増えても、人数が多いことがあまりメリットにならない。

サッカーのゴールキーパーは、フィールドプレーヤーと比べるとフィールドでのプレーの質はかなり劣るだろう。だから、そんな人が一人加わったからといって、本当に効果があるのかが疑問なのだ。

例えばアイスホッケーなどでは、パワープレーといって人数を一人増やして攻撃することがある。ただこれは、ゴールキーパーとフィールドプレーヤーを交代して行うものだ。当然、邪魔になることはない。それに、頻繁に行われることなので、しっかり練習もしているだろう。

いろいろと調べてみたが、僕が疑問に思う以下の点は払拭されないままだ。

フィールドプレーヤーとしてのクオリティが低い人が攻撃に加わってもかえって邪魔になることがある。さらにはキーパーがゴールを守っていないことで追加点を奪われて勝つ確率を下げることさえある。それらのデメリットよりゴールキーパーが上がるメリットは上回っている理由は何なのか?

ふとこの疑問を思い出すたびに、納得いく答えがないか探してみたりするが、いまだに納得いく答えを得ない。

いつかこの疑問をスッキリ解決してくれる人と出会うのだろうか。

ちなみに、陸上の跳躍競技の選手が観客に拍手を求める行為も、僕は腑に落ちていない。

試合は練習の成果を出す場だと僕は思っている。手拍子で自分のテンションを上げようとするのは、練習のときの状態から遠ざける行為なのではないかと思ってしまうのだ。