執筆アレルギーを改善したい

学生時代の夏休みの宿題の定番の一つに読書感想文というものがある。僕はこの読書感想文が大嫌いだった。原稿用紙を前にすると1文字も書いていないのにもかかわらず固まってしまうのだ。結局、休みの終盤にあらすじのようなものをダラダラと書いて終わらせていたと記憶している。今考えると全く感想文の体をなしていなかったように思う。

高校生になっても僕の執筆嫌いは継続していた。国語の期末テストでのことだ。先生が何も書いていないまっさらな紙を全員に1枚ずつ配り、黒板に「問、愛について述べよ」と書いた。それが試験問題ということらしい。

ここでも僕は執筆アレルギーを発症し、何を書いて良いか分からずにフリーズした。文章を書くことが苦手だというのもあるが、それ以前に、そもそも高校生だった僕には「愛」に対して何の主張も持ち合わせてもいなかったというのもある(ちなみに今も持ち合わせていない)。「何」を「どう」書いて良いのかもわからずただただ時間が過ぎるばかりだった。

試験の残り時間も少なくなってきた頃、先生は「どうしても書けない人には1文字1点与える」という救済案を提示してきた。おかげで僕は7点を獲得することができた。何を書いたかは忘れたが7文字書いたからだ。逆に言うと7点しか取れなかった。それくらい文章を書くことができなかったのだ。

そんな僕がブログを開設している。1万人に1人という病気にかかり、さらには意識がある状態で脳を摘出する手術を受けるというレアな体験をした。そこから得たものを伝えることができたら誰かの役に立つかもしれないと思ったのがきっかけだ。病気について何もわからず困っていた時、僕自身が他の人が書いたブログを読んでとても助かったからという理由もある。受けた恩は誰かに還元したい。

社会人になって、このままじゃまずいと思い、文章の書き方が書かれた本をたくさん読んだ。たぶん10冊以上は読んだだろう。そこで思うのは、今まで文章を書く方法を習って来なかったんだということだ。

読書感想文などを書かされた記憶はあるが、文章の書き方についての方法論を学んだ記憶はない。僕が苦手なのは学校で習って来なかったからだ。このブログの更新頻度が低いのもそのせいだ。ということにする。

あと実は、前に書いた文を書き直していたりもする。久しぶりに読み返してみるとめちゃくちゃ読みにくいと感じるからだ。記事数は増えていないが実は更新しているという状況だ(一応、文意は変えないようにしている)。これでは記事数が増えるわけもない。

ブログを書く事でスキルが上がり、僕の執筆アレルギーが改善されるきっかけになってくれるのを願うばかりだ。