2008年に僕は脳腫瘍という病気であることがわかりました。そこからこれまでの数年間、なんども診察を受けて医師とコミュニケーションを取ってきました。しかし、そのときは問題ないと思っていたけど、あとになって考えたら認識が大きくズレていたと気づくことが何度かありました。
背景の共有が大事
患者と医師の認識にズレが生じるのは問題があります。脳腫瘍というような重い病気でならなおさらです。なので、僕は、認識のズレがなく正確に医師とコミュニケーションを取るには、どうしたら良いのだろうかと考えたことがありました。
その結果、患者が医師と話す際は、結論だけでなくそこに至った背景とかも共有することが大事なのではないかと思うようになりました。例えば、治療法を選択する場合、どの治療法を選んだかだけでなく、なぜその治療法を選んだのかといったことです。また、その治療法を選ぶことで、どのような結果になることを期待しているのかといったことも共有した方が良いと思います。
医師との認識のズレを感じた出来事
こういったことを考えるようになったのは、以前通っていたS大学病院で、医師と次のようなやりとりがあったからです。
脳腫瘍の摘出についての話をしていた時のことです。医師はMRI画像の右前頭葉部分を指して「この前頭葉の大部分を切除したとしても『大丈夫』なんですよ」と言いました。それを聞いた僕は「え、そんなに切っても『大丈夫』なんですか」と言いました。とても驚いたので、この会話のことは覚えていました。
数年後、僕は東京女子医大で脳腫瘍の覚醒下手術を受けました。実際に摘出したのは2cm程度と、S大学病院で「大丈夫」だと言われた量と比べると、かなり少ない摘出量です。
ですが、それでもやはり、それなりに生活に影響はありました(リハビリの状況についてはこちらの記事もどうぞ)。この摘出量でこれだけ影響があるなら、S大学病院で医師に言われた「大丈夫」は、僕にとっては全然「大丈夫」ではなかったなと思いました。
おそらくS大学病院の医師は、医学的に「大丈夫」だと言ったのではないかと思います。ようするに生命維持するのに十分だといった感じです。それに対して僕は、社会生活するのに「大丈夫」だと思っていました。多少の不便はあっても、仕事は問題なくこなせて生活にもそれほど影響ない状態を想像していました。
正直言って、このズレは全然大丈夫ではありません。このせいで問題があったわけではないので良かったですが、こういった認識のズレは怖いなと思った出来事でした。
僕と医師は同じ「大丈夫」という言葉を使っていましたが、内容は全然違うものでした。この「大丈夫」の部分を治療方法に置き換えたとします。そうすると、患者と医師はある治療法をすることで一致しているが、患者は社会復帰を目指し、一方で医師は生命維持を想定するといったことが考えられます。これはちょっと極端な例ですが、こう考えると治療方法の共有だけでは不十分だと思った理由がわかるかと思います。
なので、ある治療方法を選択した結果、どういった状態になることを期待しているのかとか、その後どういった人生を送っていきたいのかとか、そういったところまで共有する必要があると思いました。
自分が確実に理解している言葉を使って話す
僕はもともと口数が少ないところがあって、頭の中で完結してしまう癖があります。ですが、こういった認識のズレを起こさないためにも、結論だけでなく、なぜそう思ったかとかもどんどん言っていかないといけないなと思いました。
診察の時、病気についてちゃんと理解して医師と話そうとか思ってしまうと、医療の知識を元に話すことになります。ただ僕はあまり医学について詳しいわけではありません。それだと浅い知識で会話することになり、認識のズレが生まれやすいと思います。その結果、治療後の状態が自分が想定していたものと違っていたということにもなりかねません。
診察で医学的な話をしないといけないのは仕方がないですが、そこで生じるズレを少なくするためにも、治療後の自分の人生とか生活をどうしていきたいのかといった内容についても共有していった方が良いのではないかと思います。そういったことであれば医学的な内容と違って自分の言葉で話すことができますし、自分が想定した結果との認識がズレにくくなると考えました。