2015年に東京女子医大にて脳腫瘍の手術を行い経過観察を続けてきましたが、2020年5月に再発が発覚し10月に入院して再度手術することになりました。この記事では手術当日のことについて書きたいと思います。
朝の準備
手術当日のスケジュールですが、まずは6時前に起床。で、すぐに普段服用している抗てんかん薬(イーケプラ)を飲みます。一応6時までは水分を取ることができたので、その時間までに薬を飲み終えておくということでした。
そして歯磨きや髭剃りなどの身の回りの整理をしたりトイレなども行っておきます。あとは手術着を着るのと血栓症予防のために弾性ソックスを履きます。これらを8時までに済ませます。
ちなみに貴重品などは病院では管理してくれません。一応カギ付きの貴重品ボックスみたいなのがあって、財布とスマホはそこに入れました。そのボックスのカギも預かってもらえないので、キャリーケースの中に入れて(隠して?)おきました。
基本的にはこれで準備完了です。あとは手術の時間が来るのを待つばかり。余った時間はベッドの上で横になりながら友人からのメッセージに返信したり気持ちを落ち着かせるために使っていました。
手術室には8時30分に入る予定になっていました。8時25分ころに看護師さんが病室に向かえに来て一緒に手術室に行きました。(下の写真は手術室の入り口のものです。ちょっとわかりづらいですけど左の銀色のところがドアです。ハイパースコットというのは手術室の名前です。)
手術室に入室する
手術室に入ると、目の前に椅子が置いてありました。とりあえずはそこに座って待機です。横にパソコンが置いてあってその間看護師さんが色々と入力作業を行なっています。
少しすると手術室看護師さんと麻酔科の先生がやってきて顔合わせをしました。あとはいくつか書類にサインをしたりしました。
諸々の手続きを終えるといよいよ手術台へ向かいます。椅子があった場所から目の前の扉を通過してすぐ左手の扉を入ったところに手術台はありました。
手術する部屋は想像していたよりも広くて、術中で使うMRIがあったり50インチくらいありそうなモニターなんかもありました。あとはロボットアームのようなものもいくつかありました。(東京女子医大の手術室のことがこちらの記事で紹介されています。)
手術台の上に横になると麻酔科の先生たちがいろいろなものを僕に取り付けにかかります。他のスタッフさんも周りでいろいろな準備に取り掛かっています。いよいよ始まるんだなと思いながらその様子を横目で見ていました。
自分としては比較的落ち着けていると思っていましたけど、周りから見たら緊張しているように見えたのかもしれません。手術室看護師さんは手を握りながら話しかけて僕をリラックスさせようとしてくれていました。
前回の時のICU看護師さんもそうでしたが(【11】ICUで一晩過ごして一般病棟に戻るまで)、体に手を当ててもらうってのがなんだかんだ言って一番心に残るなと思います。薬をもらって楽になったとか痛みが抑えられたとかの記憶はうろ覚えですけど、手を当ててもらって心が落ち着いた経験は今後も忘れない気がします。
そうこうしているうち、手の甲に刺した管から薬を入れていきますと麻酔科の先生に言われました。その薬が入ってくると同時に手の甲のところにピリピリとしたちょっと強めの痛みが感じられました。看護師さんからも「ちょっと痛いけどそういう薬だからちょっと我慢してくださいね」と言われました。
確かに痛いなぁなどと思っていると、だんだんと意識が遠くなっていくような感覚になってきて、そこで僕は気を失いました。これが手術前最後の記憶です。
前回は覚醒下手術だったので術中の記憶もあったのですが(【10】脳腫瘍の覚醒下手術(その1))、今回は全身麻酔だったので術中の記憶は当然ありません。記憶があるのは術後からになります。
手術を終えて
術後、終わったよ〜という声で僕は目覚めました。そしてICUへと運ばれて行きました。
麻酔から目覚めたあとはとにかく頭が痛かったです。限界が10だとしたら今どれくらいの痛さ?と聞かれ、僕は8か9くらいと答えました。すると執刀医のS先生から「2回目の手術は痛いから」と言われました。
そのあとは前回の時も行なった手や腕や足がどの程度動くかの確認をしました。前回のときは手と腕が術前と比べて1割くらいしか動かなかったのですが、今回はほとんど術前と同じ感じに動いてくれました。前回と同程度の麻痺を覚悟していましたけど、そうはならなくてホッとした記憶があります。
少しして、M先生とS先生それぞれから家族へ手術を終えた連絡をする声が聞こえてきました。後から聞いた話では、家族に連絡が行ったのはだいたい17時ころだったようです。こうして約9時間弱の手術を無事に終えることができました。