【13】脳腫瘍の覚醒下手術を終えて。〜入院リハビリ2週間目〜

これは、脳のがんとも言われる脳腫瘍(G2、乏突起膠腫)を患ったときの体験記です。2015年7月、東京女子医大での脳腫瘍の覚醒下手術を終え、病院でリハビリを続ける日々を送っていました。1週間目は主に体力の回復に努めていましたが、2週間目になると運動機能のリハビリ、脳トレなどが行われました。ここではリハビリ2週間目の様子を書きたいと思います。
(※覚醒下手術とは意識がある状態で腫瘍の摘出を行う手術のことです。参考までに、こちらの記事もどうぞ)

左半身の麻痺の状況

僕の場合、顔>手>足の順に麻痺が強く出ました。顔が一番影響があって、最初の頃は全くと言っていいほど動かせませんでした(まばたきなどの無意識にできることは行えました)。

手については、最初はゆっくりと少しだけ動くといった状態でした。肩や肘はなんとか動かせましたが、やはり右と比べると動かしづらかったです。足に関しては、ほとんど麻痺はなくて違和感なく動かすことができました。

術後1週間くらい経ってからリハビリを開始

リハビリは、術後1週間くらい経ってから始まりました。内容は「指の体操&脳トレ」と「歩行&筋トレ」です。最初のうちは病室にそれぞれの担当の理学療法士さんが来てくれて、病室や病棟内で1時間ずつリハビリを行いました。歩くことに慣れてきてからは、別の病棟にあるリハビリ室に移動して行っていました。

なかでも指の体操と歩行が難しく、なかなか思うようにはいきませんでした。ちなみに、顔の麻痺が一番強かったのですが自然に回復するのを待つということで、そのためのリハビリはありませんでした。

指の動かし方がわからない

術後1週間経っても指はあまり動かせませんでした。関節がゆっくりと少しだけ曲がる程度で、拳をぎゅっと握ることはできませんでした。卵くらいの大きさのものであれば握れるかなといった状態です。あとは、指を広げたり狭めたりするような横の動きもほとんどできませんでした。

どうやって指を動かすのかなんて考えたこともなかったので、いざ動かなくなってみると、どうして良いのかわかりませんでした。小学生の頃、耳をピクピク動かせたり、人差し指の第一関節だけ曲げられる友達がいて、それを真似しようとしてみたけど全然できなかった感じに似ていて、ふとそれを思い出しました。

親指を動かせないのが特に困る

どの指も動かせないことには変わりないのですが、親指が動かないことの影響が大きいと感じました。親指は他の指に比べて可動範囲が広く複雑な動きができるので、担う役割が大きいからです。親指の重要性は動かなくなってみて初めて意識することでした。

動かない左手をできるだけ使うようにする

入院中、どうやったら以前のように左手が動くようになるだろうかということを常に考えていました。

物を持つ時は常に左手を使うようにしたり、暇さえあれば指の体操をするようにしました。また、右手を動かしてその感覚を頼りに左手を動かしてみようとしたり、右手で左手の指を掴んで動かしてみたりもしました。そうすれば感覚が取り戻しやすいのではないかと思ったからです。

このように試行錯誤しながらリハビリしていました。なかなかスムーズに動くようにはなりませんでしたが、徐々に動く範囲が広がったり速く動かせるようになりました。

歩く時にフラフラする

歩行のリハビリは、病棟内の廊下で、キャスターつきの点滴スタンドにつかまりながら歩くところから始めました。最初は、一歩ずつゆっくりとしか歩けませんでした。歩く時にどうしてもフラフラしてしまっていたからです。目をつぶったまま片足立ちした状態のような、まっすぐは立てているけど体の内側で一生懸命バランスを保とうとしているような感覚でした。

足にはあまり麻痺の影響はなかったので、足を動かすことにはそれほど違和感を感じていませんでした。なので、歩くことはそれほど苦労せずにできるかと思っていたのですが、そう簡単にはいきませんでした。

理由を考えてみると、脳が目から入ってきた視覚情報を処理するのに手一杯で歩行の指示をする余裕がないのかなと思いました。横を向いたりして新しい情報が目から入ってくると、ふらつき度合いが増す感じがしたのもそのように思った理由の一つです。そのため、しばらくは自分が進む方向だけを一点見つめして目から入る情報をできるだけ減らすようにしながら歩いていました。

リハビリのため、できるだけ歩く

歩行のリハビリを始めた頃は、病棟内をぐるっと一周50mくらい歩くだけでも疲れてしまうような状態でした。ですが、リハビリ以外でも出来る限り歩くようにしていたこともあって、だんだんと歩ける距離も伸びていきました。脳が視覚情報を処理するのにも慣れたのか、フラフラすることも少しずつ減ってきたように思います。術後2週間が過ぎたころになると病棟内を10周くらい歩いたり、階段の上り下りくらいはできるようになっていました。

軽い発作が起きてショックを受ける

リハビリを行うために介護士さんに付き添ってもらってリハビリ室に向かおうとしたときのことです。左腕に違和感があったので腕を上げようとしてみたら、思うように動かせませんでした。すごくゆっくりとしか上がらず、ダンベルを持って腕を上げているかのようでした。さらには左腕にしびれも感じたので、介護士さんに言って病室に戻ることにしました。

そして、ナースセンターに居た担当医師のT先生に診てもらいました。幸い症状が軽かったため、とりあえず安静にして、その日の夕方からは発作を抑えるために飲んでいた薬を1錠から2錠に増やすことになりました。

これまで(手術前も含めて)発作が起きたことはありませんでした。少しずつではありましたが順調に進んでいたので結構ショックでした。わかってはいたつもりでしたが、やはりそう簡単にはいかないんだなと改めて思いました。

看護師さんの話では、術後は不安定なのでこういったことが起きやすいそうです。実際、僕の場合はこの1回だけでした。一応、その時を最後に現在(術後2年半経過)に至るまで、発作は起きずに過ごせています。

意外にあっさりと終わった抜針

開頭の際、結構大きく切り開いたので、医療用ホチキス40針ほどで傷口がふさがれていました。傷口は、おでこの真ん中の少し上の辺りから頭頂部に向かい、さらにそこを越えて後頭部を通って右耳の上までありました。

抜針は術後10日くらい経った頃に病室で行われました。担当医のO先生がペンチのような器具を使ってパチパチと針を取り外してくれました。針を外すときはすごく痛いんじゃないかとビクビクしていたのですが、軽くチクチクするくらいで意外と痛くなくあっさりと終わったのでちょっと拍子抜けしました。

子供返り?思考能力の低下?

入院中、もしかして子供返りしてるのかな?と思ったことがありました。看護師さんと話している時の口調が子供っぽくなっていると感じたり、ナースコールが手放なせなくなり手元にないと不安になってしまったりしていたからです。

また、思考能力が衰えたような感覚もありました。術後初めてシャワーに入った時のことです。シャワーを終えて服を着ようとした時、脱衣所に普段は置いてあるはずの椅子がないことに気づきました。転倒するといけないから片足立ちはしないように言われていたので、椅子に座って服を着たいと思っていたので困ってしまいました。

冷静に考えれば片足立ちせずにズボンをはく方法はあります。ただその時は、椅子に座って着替える以外の方法が思いつきませんでした。なのでナースコールで看護師さんを呼んで椅子を持ってきてもらうことにしました。思考能力が低下すると、こういう感じになるのかと体感した出来事でした。

一般病棟に戻ってから2週間が経って、できるようになった事・できなかった事

2週間が経ち、できることがさらに増えてきました。一方で、まだまだ出来ないことも多くありました。

できるようになった事

  • 左手をゆっくりと動かす
  • ゆっくり歩いて移動する
  • 階段を上り下りする
  • 一人でトイレに行く

できなかった事

  • 左手をスムーズに動かす
  • 左側の顔の表情筋を動かす(まばたきすることはできました)
  • 舌の左側を動かす

この記事は個人の体験に基づいて書いたものです。病状などは人それぞれ異なるものなので、気になることがあったら必ず、主治医に確認してください。本ページについてご質問等ありましたらお問い合わせページからお願いします。

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