自分に脳腫瘍が見つかったのは2008年のことでした。そこから2年くらい経ったある時、「聖の青春」という小説に出会いました。この小説は、僕が人生について考えるきっかけの一つとなりました。(以下の文章にはネタバレが含まれています)
将棋における真剣勝負の世界を垣間見る
ここ数年、藤井七段の登場により将棋ブームに火がつきニュースなどでもよく目にするようになりました。現在はちょうど竜王戦をやっていて、羽生竜王がタイトル通算100期を獲得するかどうかということでも注目を集めています。ネットテレビにも将棋専門チャンネルがあって、頻繁に対局の中継が行われているようです。
そんな流れに乗って、僕もミーハー気分で中継を観てみたことがあります。僕が観た対局も藤井七段のものでした。
映像には対局する二人の様子が映し出されています。ときおりスタジオに切り替わり、解説の棋士による指し手の解説や今後の展開予想などを説明してくれます。正直、解説を聞いてもほとんど理解できなかったですけど、棋士の指し手を決める際の論理的な思考には興味を持ちました。
対局は終盤戦となり、解説によると藤井七段がほとんど勝利を手にしているようでした。あとは対戦相手がどこで投了するかといった状況です。もうこれ以上解説することがないのか、解説陣もあまり話さずに対局の様子を見守っているようでした。
投了が近いということで、映像は対局室の様子を映しています。藤井七段の対戦相手は、画面の中でじっと盤を見つめていました。指し手を考えているというよりかは、悔しさを噛みしめているようでした。
この沈黙はいつまで続くのだろうかと思いながら僕も画面を見つめていました。そのまま数分の沈黙が続いたのち、対戦相手は右手を駒台の上に差し出し投了の意思を告げました。なんだか真剣勝負にかける想いが凄く伝わってきて、引き込まれたのを覚えています。将棋の世界を少しだけ垣間見たように思えました。
「聖の青春」とは
聖の青春は、将棋棋士・村山聖の一生を描いたノンフィクション小説です。数年前に松山ケンイチ主演で映画にもなったので知っている方もいると思います。僕は、病気が見つかった2年後くらいにこの小説と出会いました。2010年頃だったと思います。
この小説は、若くして亡くなった棋士の話です。なので、正直言うと進んで読んでみようと思うタイプの本ではありませんでした。この頃はまだ生死をテーマにした物語には抵抗があったからです。ただ、なぜかはわかりませんが、この時だけは読んでみようという気になりました。将棋に一生を捧げたという村山聖の生き方に興味を覚えたからかもしれません。
村山聖は、5歳のころにネフローゼという腎臓の難病にかかり、子供の頃から死を間近に感じる環境で成長していきました。そんな村山少年を夢中にさせたのが将棋です。子供の頃から名人になることを夢見て、猛烈に将棋に打ち込みました。同世代には羽生善治もいて、西の村山、東の羽生と並び称されるほどでした。しかし、プロになってからも幼い頃に患った病気との戦いは続いていて、時には這うようにして対局へ向かうこともしばしばでした。
そんな村山にさらなる追い討ちを受けます。27歳に癌が見つかったのです。さらには、一度手術したものの再発してしまいます。そんな状態にもかかわらず名人になることへの執念から、順位戦で一度は降級したB級1組からA級への返り咲きを果たします。しかし、病によって村山聖の名人への挑戦はここで終わりを告げました。29歳のことです。
印象的なシーン
僕はこの小説を読んで、何度も村山聖の生き方に圧倒されました。中でも特に印象的だったシーンがこの3つです。
「僕には時間がないんだ。勝ちたい。そして早く名人になりたい。」村山は泣いていた。「早く名人になりたいんじゃ」泣きじゃくりながらもう一度そう叫んだ。
プロへの道を閉ざされてしまった兄弟子とお酒を飲んだ際に、自身の想いをぶつけたシーンです。命の有限さを強く意識していることが、このシーンからよく伝わります。
村山は大阪に向かった。もちろん医師は必死に止めた。あの大手術を終えて1ヶ月も経たない人間が大阪まで出て、朝10時から深夜に及ぶ間、畳に座り続けて戦い続けることは不可能としか思えない。・・・(略)・・・しかし、村山は一向に耳を貸さない。順位戦を戦うこと。それは、村山にとっていまこうして生きている、最大のそして唯一の意味であった。
これは癌の手術後、名人を目指すための順位戦に向かうシーンです。先のことは考えずに、とにかく今に全力を尽くす様子に圧倒されました。
「5四銀、同歩、同飛、6五歩」と将棋の符号を誦(そらん)じはじめる。・・・(略)・・・そして、その声は「2七銀」で突然に止まった。
最後に村山聖が地元の病院で家族に見守られながら亡くなるシーンです。最後まで棋士として生き抜いたことに感動しました。
人生の密度について考えるきっかけになった
村山聖の生き方に触れて、自分はこんなに強くいられるだろうかと考えさせられました。正直、とてもまね出来そうにないなと思います。僕は彼よりも長く生きてはいるけど、残念ながら自分の人生は彼ほど内容の濃いものではないだろうなとも思いました。
だけど、せめて今からでもいいので、少しでも内容の濃い人生を送りたいなと思いました。この小説を読んで、人生の価値の置き方として長さ以上に密度を意識するようになりました。結果的に長く生きる可能性もありますが、僕にも再発の可能性はあって、こればかりは自分ではどうしようもありません。ですが、密度を高めることはある程度自分次第なところがるので、そうできたら良いなと思うようになりました。
村山聖のように純粋に真っ直ぐ進むのはなかなか難しいことだと思いますが、あまり余計なことは考えずに今を大事にして生きていければよいのかなと思います(よかったら別の記事「僕なりの病気に負けない人生の送りかた」も併せて読んでみて下さい)。
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