先日、冷蔵庫と洗濯機をリサイクルしようと思い業者に電話で依頼をしたのだけど、その際、以下のようなやり取りがあった。
オペレーター「冷蔵庫と洗濯機のメーカーをお聞きしたいのですが、お伺いしても大丈夫でしょうか?」
僕「あ、はい」
オペレーター「冷蔵庫と洗濯機のメーカーをお伺いしても大丈夫でしょうか?」
僕「あ、はい、大丈夫です」
オペレーター「もしもし?聞こえてますか?」
僕「もしもし、聞こえてます」
オペレーター「冷蔵庫と洗濯機のメーカーをお伺いしても大丈夫でしょうか?」
僕「あ、はい、大丈夫です」
オペレーター「冷蔵庫と洗濯機のメーカーを教えていただきたいということなんですけど・・・」
外出先での電話だったため、質問は了承を得るための確認だと思ってしまったせいですれ違いが生じた。気をきかせてメーカー名を伝えることもできたかもなと思いつつ、一方で、というかなんで同じ質問を繰り返したんだよ「では、冷蔵庫から・・・」って言えば問題なく話を進められたんじゃないの?という苛立った気持ちにもなった。
ただ、こういう状況になるといつも、あれ?実は自分がおかしいのか?という考えが頭に浮かんでくる。その度に、頭の中でどこかおかしなところはあったか、どう対応するのが良かったのかと考えてしまう。その結果、別に変じゃなかったよなということになることも多いが、いちいちそういったことに頭を悩ませるといったことが本当に嫌な気分になる。
なんでこんな気持ちになるのだろうと考えると、やはりこれは認知機能が低下することへの恐怖からくる不安がそうさせるんだろうなという気がしている。
これが単なる気にしすぎというだけならマシなのだけど、日常において違和感を実感している部分もあるので今ひとつ自分を信じきれないでもいる。
実際、入院中に認知機能のテストをした時、記憶力のテストの成績が良くなかったりもしたし、また、会話中に何かの状況を説明する際、適切な単語があるはずなんだけどなぁと思っていながらその単語が出てこないことがあったり、もっとわかりやすい説明の仕方がありそうなんだけどなぁなどと考えてしまい思考がつっかえることがたびたびある。
こういうことの積み重ねによって認知機能の低下に対する恐怖心が生まれてしまっているというのはあると思う。
まだしばらくはこういったことに悩まされるだろうなと考えると、地味にしんどい。