病気を自分ごととして受け入れる

僕が脳腫瘍という病気と向き合えるようになってきた理由だったり、どういった考えをもとに医師や治療方法の選択をしていったかを振り返ってみました。

病気と向き合うために

東京女子医大でのM先生の診察は、いつもだいたい「何か質問は?」という先生からの問いかけで始まります。今まで自分が受けてきた診察は、医師から説明を受ける、医師から質問される、というような医師主導のものでした。診察というのはそういうものという認識だったので、自分の方から質問しなければならない状況に最初は戸惑いました。

でも、そのおかげか診察を受けていくうちに、病気を少しずつ自分ごととして受け入れられるようになったと思います。質問を考えるということは、病気を知ることや自分はどうしたいのかといったことを主体的に考えるようになるからです。

今では診察の際には必ず質問を書いたノートを持参するようになりました。と言っても、難しい医療の知識を勉強するわけではないので、普通に生活していて病気のことで困っていることや気になっていることを自分の出来る範囲で考えて質問するといった感じです。

ただ、この程度でもやっていなかった頃と比べると、だいぶ病気と向き合えるようになれたのではないかと思います。

命に対する責任は自分が持つ

以前の自分は脳腫瘍の摘出といったような大きな手術には、医者に命を預けて挑むものというような考えでいました。

しかし、病気を自分ごととして受け入れるようになってからは、その考えが変わりました。個人的にですが、あくまでも医師は医療という専門知識を使って自分の人生をサポートしてくれる立場の人だという認識を持つようになりました。人によっては同じような考えで命を預けるという表現をする方もいるかもしれませんが、要は完全に医師任せにしてしまわないようにするという意味です。

当たり前のことですが、自分の人生は自分のものです。なので、命に関わる病気を治療するという場合であっても、自分はどう生きていきたいかというのがまず最優先にあって、それを実現するために医師はどのようなサポート(治療)ができるかというのがその次になります。そして、その治療について自分が納得すれば任せるし、納得できなければ別の手段を検討する。命に対する責任を持つとは、どう生きていくかを決めること、そして出来る範囲で最善を尽くして納得のいく治療を選択すること、だと思います。その上で、医師には命を預けるのではなく、治療を任せるものだというのが今の僕の考えです。

この人なら大丈夫だと思える人に治療を任せる

医師を選択する基準は、この人なら治療を任せても大丈夫だと本気で思えるかどうかということになるのかなと僕は考えます。

本気とは、自分が選んだのだからどんな結果でも受け入れる覚悟を持つというくらいの意味です。僕の場合は、治療の実績などはもちろん、人間性とかそういう部分も含めて任せられる人ということで医師を選びました。

僕自身は医療の知識がほとんどないので、治療方法に対する科学的な正しさまでは判断することができません。もちろん自分が出来る範囲で理解する努力をして、納得のいく説明かどうかは考えます。

ただそれにはどうしても限界があります。なのであとは、こちらからの質問に対してどれだけ丁寧に答えてくれたか、熱意を持って対応してくれそうかどうか、リスクも正確に伝えてくれるか、難しい状況になっても最後まで最善を尽くしてくれそうかといったことなども考慮して任せられるかどうかを決めました。

この記事は個人の体験に基づいて書いたものです。病状などは人それぞれ異なるものなので、気になることがあったら必ず、主治医に確認してください。本ページについてご質問等ありましたらお問い合わせページからお願いします。

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