これは、脳のがんとも言われる脳腫瘍(G2、乏突起膠腫)を患ったときの体験記です。2008年の8月、念のために診察してもらおうというくらいの気持ちで行った病院で、予想していなかった脳腫瘍という病気が見つかりました。ここでは、病院に行くことにした経緯、初めて受けた病気の告知、その時の自分の心境などを書きたいと思います。
父の死
2007年12月頃。その日は会社の同僚たちとクリスマス会をするため、一人暮らししている都内の部屋で同僚が来るのを待っていました。すると突然、携帯の着信音が鳴りました。同僚からかな?と思って画面を見ると母からでした。基本的に母との連絡はメールで済ませることが多かったので、急に来た電話に少し嫌な予感がしました。
電話は、父が倒れて病院に運ばれたのですぐ来て欲しいという連絡でした。僕は同僚に事情を伝えて、都内から2時間ほどの実家近くの病院へ急いで向かいました。
到着するとすぐにICUへ通されました。父はベッドで眠っているだけのようにも見えましたが、その時すでに意識のない状態でした。医師の説明によると父は脳梗塞で、しかも脳の中心である脳幹の部分で脳梗塞を起こしているとのことでした。想像していたよりもかなり厳しい状況に僕は愕然としました。
父は何とか一命を取り留めてはいましたが、脳機能のうち、呼吸と心臓を動かす部分だけがなんとか機能していて、ギリギリ生きているといったような状態でした。
そこから約7ヶ月もの間、父は懸命に生きる姿を示してくれていました。しかし残念ながら、意識が戻らないまま亡くなってしまいました。
まさかの脳腫瘍発覚
父が倒れて以来、ときどき軽くめまいがすることがありました。ストレスかなとも思いましたが、父のこともあって自分にも病気がないかどうかが気になっていました。父を亡くしてしばらく経ったある日、念のため診てもらおうと病院に行くことにしました。2008年8月のことです。
そこは家の近くにあった脳外科の病院でした。まず最初に問診があって、そこでは特に問題はないだろうと言われました。ただ一応MRIを撮ることにしました。しっかり検査して余計な不安を取り除いておきたいとの思いからでした。
ところが検査後、医師から「ここに白い影があるのがわかりますか?おそらく脳腫瘍だと思います」と告げられました。
病気がないことを確認したいと思って行った病院で、まさかの病名を伝えられたのです。僕は頭が真っ白になり、スッと感情を閉ざしました。そして、無意識に左手でぎゅっと右肩を掴み心臓を守るような姿勢を取っていました。
今考えると身の危険を感じ精神や身体を守ろうと無意識にとった行動だったのではないかと思います。おそらく、感情を閉ざすことでこれ以上の精神的ダメージを減らし、心臓を守るような体勢をとることで身の危険に対応しようとする防衛本能からくる行動なのではないかなと思いました。
そしてだんだんと意識が現実に戻ってくると、いろいろな考えが頭の中を巡りました。それは、父の死後すぐに自分も死ぬことになってしまうのだろうか、余命を宣告されてしまうのか、何かの間違いじゃないのか、といったようなことでした。その時の自分にとっては脳腫瘍のイメージといえば「死ぬ病気」以外にありませんでした。
医師からはできるだけ早く精密な検査を受ける必要があると言われ、大学病院を紹介してもらい1週間後の検査を予約しました。診察を行ってくれた医師は普段S大学病院に勤務しているということから、その病院の脳腫瘍を専門としている先生を紹介してくれました。どの病院が良いかといった知識が何もなかったため、医師に勧められるままにS大学病院で検査してもらうことに決めました。
精密検査とその結果
検査当日、どのようなことが待ち受けているのだろうと、凄く緊張しながらS大学病院に行きました。S大学病院で行われた精密検査は、MRIとスペクトという検査でした。スペクトというのは画像診断の一種で腫瘍の進行速度を知るための検査です。検査は朝から夕方まで1日がかりで行われました。
検査の結果、医師からは脳腫瘍だと思って間違いないと言われました。
正直この結果を聞くまでは、前に撮ったMRIは何かの間違いで白い影が写ってしまっていたのではないかと考えている自分がいました。しかし、大学病院でも以前と同じ白い影のある画像を見て、やっぱり本当だったのかと落胆しました。
ただ、幸いにも腫瘍の大きさは1cm程度とまだ小さく、進行速度も遅いタイプのものだと推測されるとのことでした。こういった状況に加えて、脳にできた腫瘍は他に転移することはないらしく自覚症状などもなかったことなどから、手術をせずに経過観察にすることもできるということでした。
最初に病気を告知された時には、死んでしまうのだろうか?とまで考えていたので、手術をしないという選択肢もあることにとても驚きました。30分くらいかけて一通り説明を受けた後、手術するかどうかを聞かれました。しばらく考え込んだ後、今すぐの手術はやめておきますと答えました。病気を抱え続けることに不安もありましたが、父を亡くしたばかりで気が滅入っていたのと、あとは単純に恐怖心もあって手術をするという決断がその時の自分にはできませんでした。
父への感謝
当時は本当に苦しい思いをしました。しかし今振り返ってみると、最初の診察に脳外科を選んだのは父のことがあったからなので、父が助けてくれたのだと感謝しています。